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6000人余が犠牲となった阪神大震災から、28年となった。
新型コロナウイルス禍で縮小や中止が続いていた追悼行事も3年ぶりに通常規模に戻り、神戸市中央区の「東遊園地」で行う「1・17のつどい」には、約4万8000人が訪れた。
一方で兵庫県内で黙禱(もくとう)などを行う学校・幼稚園は前年から140校園減ったという。時が流れても「1・17」が鎮魂の日であることに変わりはない。犠牲者を悼み、教訓を未来へ確かにつなぐ一日としたい。
阪神大震災は、人々が長らく忘れていた大規模災害だった。高速道路や駅舎が倒壊し、神戸の街の至る所で炎が上がる中、救出された人の7割は消防や警察、自衛隊ではなく、家族や近隣住民などに救われたとされる。
政府や自治体の初動が遅れたのは事実だ。ただこの経験から私たちが学ぶべき教訓とは、大規模災害の発災直後は「消防車も救急車も救助隊も来ない」という、最悪の事態を想定した備えが必要だということである。
わが国は地震大国であり、直下型地震は日本列島のどこでも起こり得る。南海トラフ巨大地震は2030年代にも、首都直下型地震は今後30年以内に70%の確率で起きるとされている。
阪神大震災以降、東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨など、大規模災害が起こるたび、私たちは「備え」の大切さを改めて学んできた。自宅の家具などの転倒、落下防止対策を講じることや、ハザードマップを確認するなど、自分の身を自分で守る「自助」は、今や身近で「当たり前」の取り組みになっている。
だが、長引くコロナ禍で人との接触や「不要不急」の外出を避けるなか、地域で助け合う「共助」はどうか。近隣にどんな人がいて、いざというときに頼れるか。それとも支援が必要か。十分に把握できているだろうか。
「自助」は自分さえ助かれば良いという発想では成り立たない。親と子が互いを守ろうとする家族間の強い絆や、大切な誰かを助けたい、地域を守りたいという「共助」の基盤があってこそ促され、広がるはずだ。
震災の記憶と教訓を風化させず、未来につなぐ。それは被災地だけでなく、今を生きるすべての者の責務である。
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2023年1月17日付産経新聞【主張】を転載しています